夢十夜・第七夜から読み解く `秋の夕暮れ`


「寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ


(意訳)


「あまりの寂しさに耐えかねて、思わず庵を出て、あたりを見回してみたけれど、どこもかしこも同じ、寂しい景色だね。秋の夕暮れは。」


上の古歌にもあるように、「秋の夕暮れ」とはもの寂しい雰囲気である、という意味で使われます。夕暮れを見ていると、どこかもの寂しい感じがして、訳もわからず涙が出てしまうことってありますよね(私だけ?ww)。さて、今回も夢十夜のある一説からお話しします。


(原文)

何でも大きな船に乗っている。

~中略~

自分は大変心細かった。こんな船にいるよりいっそ身を投げて死んでしまおうかと思った。

~中略~

乗合はたくさんいた。たいていは異人のようであった。


夏目漱石の夢十夜・第七夜の原文の抜粋です。これは一体、何を表したものなのでしょうか。


目次

1. 主人公の心境

2. 生きる意味を考えるのって、おかしなこと?

3. 人生はさみしい


1.主人公の心情

前回の記事で「どこへ行くんだかわからない船」に乗っている主人公を、生きる方角がわからずに生きているすべての人にたとえていることを話しました。しかし他にも乗組員はいます。仲間がいれば多少寂しさも和らぐでしょう。しかし、この船での乗組員のことを漱石は「異人」と表現しています。異人ということは言葉が通じない人たちです。船の中にはたくさんの人がいるにも関わらず、自分の気持ち、思っていることを伝えること、悩みを打ち明け、共感をしてくれない人たちなのです。だから主人公は「大変心細かった」と語っているのです。


2. 生きる意味を考えるのって、おかしなこと?


(原文)

ある晩甲板の上に出て、一人で星を眺めていたら、一人の異人が来て、天文学を知ってるかと尋ねた。自分はつまらないから死のうとさえ思っている。天文学などを知る必要がない。黙っていた。するとその異人が金牛宮の頂きにある七星の話をして聞かせた。そうして星も海もみんな神の作ったものだと云った。最後に自分に神を信仰するかと尋ねた。自分は空を見て黙っていた。或時サローンにはいったら派手な衣裳を着た若い女が向こう向きになって、洋琴ピアノを弾いていた。その傍に背の高い立派な男が立って、唱歌を唄っている。その口が大変大きく見えた。けれども二人は二人以外の事にはまるで頓着していない様子であった。船に乗っている事さえ忘れているようであった。


船に乗っている事さえ、忘れているような人に「この船はどこへ行くの?」と聞いても仕方のないことでしょう。「この船は一体どこへいくのだろう」 これひとつ知りたいと思っていた主人公はますます孤独感を深めていくのです。


「この船は一体どこへいくのだろう」ということは「なんのために生きているのだろう」ということです。しかし、現代において人にこのように悩みを打ち明けようものなら、どういわれるでしょうか?


「どうしたの?何かあったの?」と心配されたり、

「そんなこと考えていないで、楽しくやろうよ」と悩みをわかってくれる人はどれだけあるでしょうか。


今日の日本では、英語・国語・算数・理科・社会の5科目教育、最近ではコンピュータープログラミングも小学校でやっているようです。こういったものに力を入れてはいても、生命の尊さ、人の存在意義は何か、死とは何か、についての議論はあまりなされてはいないようです。


しかしながら、元大阪大学総長鷲田清一氏によれば、西洋、フランスの高校では文系では週に8時間、理系でも週に3時間の哲学の授業があるのです。そして、大学の卒業論文並みのレポートを提出してやっと卒業ができるようです。


補足になりますが、哲学を生んだヨーロッパの多くの国では、日本の高校生ぐらいから哲学を教えています。フランスでは、文系の高校生3年生で週9時間の哲学の授業があります。理系に進む生徒ですら週3時間の授業です。そして日本の大学の卒業論文よりもレベルが高いであろう試験を受けないと、高校を卒業できない。つまり、大学受験の資格がとれません。どの市民も、幸福とは何か、よい政治とは何かを頭で考えて、それなりの考えをもち、それを言葉で表現できるような訓練を、高校生のころからしてきているのです(鷲田清一)。


哲学、と聞くと難しいイメージですが、いわゆる「生きることへの問い」とか「幸せとはなにか」について人生観を深めるということでしょう。しかし、現代では「生きる意味ってなんやろか」といったことを考えていると周りから「あんたどないしたん!?」「変な宗教にでも引っかかったんか?」と心配される始末です。日本ではそのような習慣が消されてしまったんでしょう。でも、海外に行くと自己紹介の次にでも「What is your religion?」と質問がされます。宗教とは、いわばあなたの人生観として代用される言葉なのです。この記事の内容に共感される方があるならば、あなたの気持ちは全くおかしくありません、当然あるべき、大切な気持ちなのです。その心が本当への幸せへの第一歩となるのです。ですが、日本ではそのような習慣は根づいていないようですね。



3. 人生はさみしい

どれだけ大勢の人に囲まれていても、寂しい気がする。それは自分の心を本当にわかってくれる人がいないからです。自分の心の寂しさや悩みを、すべて誰かに話すことができ、完全にわかってもらえたならば、どれほど救われる想いがするでしょうか。しかし、現実には不可能なことです。そういう意味で、私たちは「独りぼっち」 なのです。「まあ、確かに寂しいこともあるけど楽しいこともあるじゃないか。実際幸せそうな人はたくさんいるよ」と思う人もいるかもしれません。


ですが、幸せかどうかはその人にしかわからないことですよね。永久の愛、を誓った夫婦でさえ、どれだけ行き違いが多いでしょうか。話し合えば話し合うほど、お互いの感覚や価値観の違いが浮き彫りになってくるのは、どうしようもありません。心から一つになりたいと願いながら、分かり合えない悲しさ、寂しさが、日ごとにつのっていく。あからさまに言いたいことを言っているとケンカになるので、家庭生活を維持するためには違いを認め、歩み寄らなければなりません。それにはかなりのエネルギーを必要とします。相手に配慮する気力を失ったとき、破局を迎えることになるのでしょうか。どんなに仲良く暮らしている相手であっても、一人一人の本心は、別の人にはのぞき見ることもできません。


みな人の 心の底の奥の院 さがしてみれば 本尊は鬼


昔は士農工商でしたが、現代は人は皆平等。これが現代の常識。とは言いつつも、自分と違う人を差別し、価値判断を加えるのは当たり前のようにしているのが私たちではないでしょうか。小さなものは学校でのグループ派閥にはじまり、大きなものは国同士の争いまで。お互いの立場や家庭環境はどうしようもないのに、それらで人を差別する心はなくならない。親子、夫婦、親友に、心の中の全てを洗いざらい言える人はいるでしょうか。


上の歌は、心の奥底をよくよく見つめてみると、とても言葉に出せないものを、お互いに持っているということです。もし言ってしまったら「そんなこと思ってたのー( ゚Д゚)」と相手はビックリし、嫌われてしまうかもしれません。「あの人には何でも言える」というのは、言える程度までならば何でも、ということではないでしょうか。


そんな私たちが幸せになるにはどうすればよいのか、とても難しい問題です。でも、まずは知ることです。自分のすがたを知ることです。ありのままの自分のすがたを知ってこそ、次の手立てが出てくるのです。

幸せってなんだろ?

人生観の深まる話しを紹介!!、、、できたらいいな・:*+.\(( °ω° ))/.:+

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